自分を中心に捉えて心のバランスをとる

バランスが崩れてしまった心を元に戻すときは、やじろべえをイメージするといいよ。

やじろべえがバランスをとることができるのは、真ん中に軸があるから。軸が真ん中から左にずれても、右にずれても、バランスをとることはできないんだよ。


自分を見失わないようにするには、やじろべえの同じように、いつも自分を真ん中に置いて物事を考えればいい。

自分の中で悪いほうに考えが傾いてしまっても、慌てることはないんだよ。自分で良いほうの重りを増やして、心を安定させればいいんだからね。バランスをとるには、足りない物を補給して、過剰にあるのを取ってしまえばいいだけのこと。


もし、自分がバランスを崩して何かに悩んでいるなと思ったら、「何で悩んでるのかな」と高い場所に立って問題を見てみればいい。そうすると、実力以上のことをやろうとしているのが原因でバランスを崩していることに気づくかもしれない。自分に合ったことをしていれば、やじろべえは均衡を保ってまっすぐになるからね。

どんなときでも自分を中心に据えて人生を生きていくには、自分を信じる必要がある。最近は、自分のことを信じることができない人が多いけど、それは、いろんな欲にとらわれているからなんだよ。

たとえば、「 あの人にこんなこと言われると嫌だな 」という欲や、「 昨日つまんないことを言ってしまったけど、あの人はどう思ってるかわかんないし、謝りたくないな 」という欲、「 あの人のこと、好きじゃないからあんまり会いたくないな 」という欲があるとしたら、それらはすべて、自分を心の中心に据えず、相手を中心に置いてやじろべえのバランスをとっているからそうなるんだよ。


相手のことを基準にあれこれ考えなければ、たとえケンカをして気まずくなったとしても、翌朝になればケロッとしていられるんだよ。「 昨日は昨日のことだし、今日はまた新しい人とってつきあうからいいや 」なんて思って出かけられるし、もし相手と会ったとしても「 こんにちは 」と挨拶できるからね。過去を持ち出さず、いつでも目の前にあることをありのままに受け止めながら、自分を持って生きていけばいいんだよ。
( 酒井雄哉 : がんばらなくていいんだよ )

酒井雄哉さんは、僧侶で「 千日回峰 」という、ありえないくらい厳しい行を、2回満行された方です。とんでもない苦労を乗り越えられた酒井雄哉さんの言葉は深く心に響きます。

若い頃、苦手な人がいて。会うと心のバランスが崩れ、あまり会いたくないと思う人がいました。
この文書を読んで、その人に会うとなぜ自分の心のバランスが崩れてしまうのだろう? 自分の中のいったい何が反応しバランスが崩れるのだろう?と。相手に向かっていたベクトルが自分に向き、その後は、相手に会うことが問題ではなく、会った時の自分の反応のしかたに問題があると捉えられるようになりました。その後は相手に会っても自分に軸を置くことができ、あまり気にならなくなりました。
「 何で悩んでいるんだろう 」と別の視点に立ってみるのは実体験として役に立ちました。

人に嫌われたくないとか、人によく思われたいという思いも欲なのかと思うと、この一文は、なかなか自分には厳しいです・・・