ドアの鍵を開けて自由になる

刑務所で30年過ごしてきた自分を想像してみてください。30年経ったとき、誰かがやってきてこう言います。「ところで、君は刑務所にいる必要はなかったんだ。君は自分で自分を拘束したんだ。自分自身の判事と陪審員になることを選び、自分で不幸になる判決を下したのさ。一生を貧しく、平凡で役に立たない人間として生きるという判決をね。独房の鍵はいつも君のポケットの中にあった。いつでもドアの鍵を開けて、自由になることができたのに

( ルータイス : アファメーション )


自分で鍵を持っていることを忘れていたり、鍵を持っていることを思い出しても、外へ出るのが怖くて鍵が開けられない。そんなこともあると思います。

とある社長さんの言葉を私の解釈も入りますが紹介したいと思います。

外に出て未来に何が起きるのかなんて誰にもわからない。外へ出られるかどうかは自分で覚悟を決められるかどうか。人や出来事のせいにするのでなく、起きる全ての出来事、良い事も、悪い事も自分で責任を持って受け入れる。その覚悟を持てれば、たとえ失敗しても再び立ち上がることができる。痛みにも耐えられる。しかし、覚悟が定まらず、不安な気持ちや恐れがいっぱいでは、場合によっては再起不能となってしまうかもしれません。


私自身、過去に心がしばらく立ち直れそうにないくらい、大きく心が折れたことがありましたが、抵抗することをやめ、その状況を受け入れる覚悟をした時、不思議と苦痛が消え、立ち上がることができた経験があります。倒れていたドミノ  が突然逆方向に倒れだすくらいの変化でした。

何か決断をする時、覚悟はあるのか? 自分自身に問いただしたいと思います。