人の悩みは突き詰めれば、他の人が自分をどう思っているか? それだけだ 。

坂口恭平という作家で面白い人がいて、自殺者をゼロにしたいという夢を持っていて、いのちの電話というのを個人でやっているんですよ。彼の本には自分の電話番号がかいてあって、死にたくなったら電話しなさいと。もう2万件聞いたと本に書いてますけどね。

一つ彼が言ってることで大事な事だと思うのは、人の悩みっていうのは、結局突き詰めれば同じだってこと。

他の人が自分をどう思っているかっていうそれだけだ 」。

人の悩みをさんざん聞いた結論としてね。皆んな自分だけが悩んでいると思っている。ただ、それは大きな間違いで、みんな同じなんですよ。

 

ある人が、自分が中学生の時にいじめられた経験を本にしたんでよ。10年たって14歳だった時のことを24歳になって書いた。いじめられるっていう経験を今の人がどういうふうに見てんのかなと思ってその本を読んだんです。その本を読んだ時の印象として、その本の中に一言も出てこなかったことが、「花鳥風月」なんです。花であり、鳥であり、風であり、月なんですよ。つまり広い意味での自然なんです。人の世界でない世界っていうものがほとんど書いてないんだってことに気がついた。そうすると、人間の世界が大きくなります。人間の世界のいい点と悪い点が大きくなります。問題は不幸せの時です、人と人との関係が世界を占めてしまいます。自然の世界っていうのは、人間とは別にあるんです。これはデカルト心身二元論じゃないんだけど、僕は世界が二つあると思っています。

皆さんの幸せ、不幸せ、それを決めているのが人なんですね。そうすると人だけに幸せをかけると僕は危ないって思うんです。

10年以上前のいじめの時から始まって、これだけ花もなきゃ、月もなきゃ。そういう世界の中で何が書いてあるかっていうと、家族がどういうふうに反応したとか、どう言ったとか、友達がどういう相談のってくれたとか、くれなかったとか、そういうことだけが延々と書いてあるんです。私なんかそれを読んでいると、もう途中で放りだしたくなる。まぁ、そういうこともあるけれど。お宅に猫いなかったのか? どっかで鳥が鳴いていただろう、その鳥なんだ? とか。そうすると世界がちょっと広がります。私の育った頃の世界は、ちょうど人間の世界とそうでない世界が、乱暴にいうと半々でした。本来は皆さんは生き物ですから、やっぱり半分自然の世界がないと、私はいけないような気がするんです。( 養老孟司さんの言葉 )

 

私自身の悩みを改めて考えてみると、人からどうみられるかを気にして苦しくなっていることが多い事に気づきます。「すべての悩みは人間関係の悩みである」とアドラーが言った言葉も思い出します。そして、苦しみの世界が増えると、自然の世界が減って徐々に花鳥風月を感じなくなっていく。前回の記事で書いた、満開の桜を見ても私の感情が動かなかったのは、このような部分もあった気がします。日常生活の中で花鳥風月を感じられなくなった時は危険信号なのかもしれません。そうならない生き方を大事にしたいです。