この厄災を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。

世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。それよりも、それのどこを悪と判断するのか、どこを変えたいのかと自問しなさい。

外に向かってではなく、内に向かって、「この厄災を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を行き出したいのか」と問いかけなさい。

人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。(神との対話①第1章)


人生で厄災と思えるできごとは、必ずあると思います。そんな時、この言葉は何度も役立ちました。


私の体験として、仕事で悪気はまったくないにもかかわらず、相手の怒りをかってしまった事があり、結果としては、この出来事をきっかけに相手との関係は改善し雨降って地固まるとなりました。


この時、まずは起きた出来事をしっかり受け入れる事。そして、相手を不快な気持ちにさせてしまった事へのお詫びを伝える事。相手の話しをしっかり聞いて受け止める事。自分を正当化せず素直に自分の考えと相手を大切に考えている事をしました。

この件をきっかけにお互いに腹を割ってよく話し合い、すれ違いや誤解が解け、逆に信頼感が生まれ良い関係に生まれ変わりました。


体験のまとめ

・厄災と思える出来事が起きたらまずは受け入れる。

・その時は不安で苦しくても、後で振り返ると気づきや成長できたという事が多い

・その場におかれなければ考えなかったこと、その場におかれて創造されること、その場におかれることで発揮される自分の隠れた能力がある