「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練さえも、両手でいただくこと。

ていねいに生きるとは、どういう生き方なのでしょう。数年前、私は「ひとのいのちも、ものも、両手でいただきなさい」という言葉に出合いました。そしてこれは、私に、ていねいに生きる一つのヒントになりました。

誰が考えてもよいもの、ありがたいもの、例えば賞状、卒業証書、花束などを両手でいただくのには、何の抵抗もないでしょう。しかし、自分がほしくないものだと、そうはいきません。拒否したい、突き返したいようなものが差し出された時、果たして、それらを受けとめるだけでなく、両手でいただく心になれるだろうか、と私は、自分に問いかけ続けています。( 渡辺和子さん : 置かれた場所で咲きなさい )


人生、順風満帆で生きたいと思っても、自分が望まないこと、理不尽なこと、ありがたいと思えないようなこと、これらは避けては通れません。良いことも、良いと思えないことも、両方込みで人生のような気がします。

自分が望まない出来事が生じた時、どう向き合うのか? 捉えるのか? 

拒否したり、逃げたくなったり、誰かをを非難したり、腹が立ったり、こんな時、何か一方的に受け身で被害を受けたような感覚だと、無力感や被害を避けたい気持ちでいっぱいになってしまうため、なるべく主体的に受けようと努めます。

自分はこれをどう受けとめよう? 別の受けとめ方はあるのか? 自分はどう受けとめたいのか? いろいろ問いかけてみます。

先日、久しぶりに理不尽と感じる出来事がありました。やっぱり相手を非難したい気持ちや、自分を正当化したい気持ちがむくむくと湧いて来ます。しかし、今までの人生を振り返ると、最悪と思えるような出来事も、後になってみると、そのおかげで救われていた部分に気づいたり、それのおかげで次に起きるより大きな問題を上手く解決できたり、雨降って地固まるという経験があり、その時に最悪と思える出来事も最後まで結果をみないとわからないこともあります。今回も上記のようにいろいろ問いかけてみました。

ちなみに今回は、いろいろと助けてくれる人が現れてありがたさを感じることができたり、自分には思いもつかないような解決策のアドバイスを頂いて視点が広がったり、今後同じような問題が起きた時の教訓が得られたり、おかげさまで得るものもありました。

なかなか自分のほしくないものを両手でいただくという心境には遠いですが、苦しい時にはこの言葉がまず最初に頭に浮かびます。