人生にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。

思わぬ不幸な出来事や失敗から、本当に大切なことに気付くことがある。

1人ひとりの生活や心の中には、思いがけない穴がポッカリ開くことがあり、そこから冷たい隙間風が吹くことがあります。それは病気であったり、大切な人の失敗であったり、他人とのもめごと、事業の失敗など、穴の大小、深さ、浅さもさまざまです。その穴を埋めることも大切かもしれませんが、穴が開くまで見えなかったものを、穴から見るということも、生き方として大切なのです。

たくさんいただいた穴の中で、私が1番辛かったのは、50歳になった時に開いた「うつ病」というが穴でした。この病のつらさは、多分、罹った者でなければ、わからないでしょう。学長職に加えて、修道会の要職にも任ぜられた過労によるものだったと思いますが、私は、自信を全く失い、死ぬことさえ考えました。信仰を得てから30年あまり、修道生活を送ってから20年が経つというのに。

入院もし、投薬も受けましたが、苦しい2年間でした。その時に、1人のお医者様が、「この病気は信仰とは無関係です」と慰めてくださり、もう1人のお医者様は、「運命はつめたいけれども、摂理は温かいものです」と教えてくださいました。「摂理」ーこの病は、私が必要としている恵みをもたらす人生の穴と受けとめなさいということでした。そして私は、この穴なしには気付くことのなかった多くのことに気付いたのです。

かくして病気という人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものを、見せてくれました。それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。他人の弱さがわかるようになったのです。そして、同じ病に苦しむ学生たち、卒業生たちに、「穴から見えてくるものがあるのよ」といえるようになったのです。(渡辺和子さん:置かれた場所で咲きなさい)

その立場に置かれなければ見えない景色がある。そこから気付くことがある。運命はつめたいけれども、摂理は温かい。つめたさばかりに目がいくのではなく、他人の温かさ、温かいサポートにも気付ける。

そんな在り方を、苦しい時、視点が変えられないような時に、本を読んで思い出します。